前回から仕事をテーマに、自分自身の働き方の変化をストーリーにしています。
前回の記事はこちらです♪
私は、観術と出会い今の教育ベンチャー企業に携わる前は、自分にあった仕事や生涯続けていける仕事を探していました。
職業を意識し始めたのは幼稚園や小学校の時で、当時なりたかった人は「お母さん」や当時習っていた「エレクトーンの先生」でした。。
後は、大工だった祖父の仕事場にいき、建物を建てる流れを見ることが楽しくて仕方がありませんでした。
基礎や柱、ハリの基本構造ができると、「棟上げ」というお祝いがあるんですよね。
その時から物事を始める時には順序や仕組みがあることを知り、自然に物理や数学の世界に興味を持ち始めていきました。
今思うと、身近な大人に憧れを抱いていて、影響を受けていたことを思い出します。
本気で仕事を考え始めたのは大学受験の時でした。
でも職業を探しながらも、10代で先の人生を決める進路を決断しないとならないことに違和感を感じました。
私の時代は、バブル崩壊後の就職氷河期で、しかも女性の社会進出が当たり前になっていたので、結婚や出産後も安定して働ける仕事が流行り、友人のほとんどは医療系の学校に進学しました。
私も当時、一生仕事をするためには、女性でも手に職を持たないとと思っていました。
大学受験に失敗して、1年間浪人したのですが、ちょうどその時期に大好きだった祖父がなくなりました。
ちょうど進路を決める時期と私は祖父の死が重なったことがきっかけに、建築の道に進もうと決めました。
▶︎③へ続く・・・